本日でブログ更新100日目という記念すべき日ですので、今回は少しメタ的なネタですが、「ブログは書きたいことを書こうよ」というお話をしたいと思います。
サブタイトルから透けて見えるブログの方向性
私はこの100日間で、大きく3回、ブログのサブタイトルを変えました。
ブログのサブタイトルの変遷を見ると、そのときどきのブログの方向性に対する私の想い(意図)が見えてきます。
「ライフ・シフト」したいミドル・エイジUさんが、「学んだこと」と「実践したこと」をつづった「生き方」探索ラボ
2020年4月1日からある、記念すべき第1号のサブタイトルです。
ライフ・シフトを全面に押し出しています。
また自分の属性であるミドル・エイジというワードも出ています。
これは、主に読者を自分と同じ氷河期世代と想定していたからです。
また、後半の部分については「学んだこと=主に著書」、「実践したこと=仕事面や投資面での実践」を想定しており、色々試すという意味で、「生き方」探索ラボとしています。
このサブタイトルからもわかるとおり、Googleが定義するYMYL(Your Money or Your Life)に思いっきり引っかかっていますので、検索順位は低いですし、AdSenseも通りません。
AdSenseについては、私の努力不足もあると思いますが…。
人生100年時代の「知識」「思考」「戦略」をスキマ時間でサクっとアップデート!
2020年6月8日ごろから、若干の修正は何度かしつつ、使っていたサブタイトルです。
前回から、少し読者目線に変更して、「このブログがどういうものであるか」をあらわしたタイトルにしてみました。
前回よりはキャッチーな感じになっていると、自分では自負しています(笑)。
「人生100年時代」の生き方を模索するサラリーマンの「思考」と「行動」の外部記憶装置
2020年7月2日から使っている最新版のサブタイトルです。
趣旨としては、1回目のタイトルに近いものに戻しています。
初回では「ライフ・シフト」だったところは、「人生100年時代」になっています。
また、「サラリーマン」というキーワードを入れています。
元々、会社に縛られない自由な生き方をしたいという想いからブログをスタートしていますが、当面はサラリーマンとしての活動が続くと思ったからです。
また、今回最も当ブログをあらわす表現として使っているのが、末尾にある「外部記憶装置」です。
これは、自分の思考や行動の記録を残しておくためのブログであることを強調したものになります。
いわば、ブログ本来の意味である、日記的な側面を前面に押し出したタイトルです。
あらためて初心に返ってみて、やはり、このブログは、自分の活動ログにするべきだと思えたからです。
心が死んでしまっては、ブログを書いている意味がない
どのエントリーかはそのエントリーの名誉のために伏せますが、あるエントリーを書いたとき、心が死んだのを感じました。
毎日更新するために、何とかネタを出さなければならないという状況であったこともありますが、書きたいと思ったことではなく、読者ウケを考えて、何となく世の中に必要そうな情報を、ある程度経験があったにせよ、若干の想像も交えて書いたところ、案の定、モヤモヤが残ってしまいました。
いや、今自分で見返してみれば、それほど悪い文章でもないと感じますし、ネタ的にも害はなく、むしろ有益だと思います(手前ミソ大盛いっちょ~)。
ただ、「どこにでもあるブログのようなネタ」を作るために、心を殺してまでして、文章を並べる作業を繰り返したいかというと、答えは「No」でした。
何のためにブログを書くのか
私はこの100日間の連続更新を通じて、あらためて、ブログは書きたいことを書けばいいのだと思いました。
もちろん、アフィリエイトをしたいなら、「読者」を想定すればいいと思います。
ただ、何のために書いているのかわからなくなって、結局、辞めてしまうという悲しい結果になるのであれば、最初から読者をあまり意識せず、自分を唯一の読者と考えて、好きなように書いた方が、続けやすいし、意味のある文章になりやすいと思います。
なるべく多くの人に読んでもらいたいという気持ちがないわけではありませんが、だからといって、書きたくもないこと、ありきたりなことを書いても意味がありません。
現時点の結論:「ブログは思考を磨くための修行場」
自分だけのために書くわけですから、当然、SEOなども考えません。
タイトルもSEOを意識せず、自分が思うようにつけているので、ほぼ検索には引っかかりません。
自分的には渾身のネタだと思って書いたエントリーでも、誰も読んでくれません。
GAFAのネタであるこの記事は、5,000字を超える力作のつもりでしたが、ほぼ誰にも読まれていません(笑)。
しかし、自分が何を考えているのかという「思考の外部記憶装置」という意味をブログに持たせるつもりで書いているのであれば、別に誰も見に来なくてもいいわけです。
つまり、想定読者は「私」一人です。
今は、自分のオリジナリティを磨くために書いていると思っています。
だから、「この着眼点は面白い」と思えるようなネタが書ければ、ものすごく満足しますし、逆に「これはいい着眼点だ」と思って書き始めても、書き上げてみると、それほどオリジナリティがないようなものに仕上がってしまうと、かなりガッカリです。
ただ、これも日々の修行と思って続けています。
私がブログは「思考を磨くため、そしてそれを記録するためのツール」だと思うようになったのは、二つの出来事が影響しています。
一つは、ちょっと先の未来を予測してブログを書いたら、意外と当たっていたこと。
こちらがそのエントリーです。
こちらは、その後、日経に出ていた記事です。
持論を展開したエントリーだったので、自分でも好きなエントリーでしたが、同じようなネタが日経に出ていたので、さらに嬉しくなりました。
もう一つは、役員との重要な会議において、ブログで扱ったネタの話がスッと口から出てきて、自論を展開できたことです。
この二つの出来事を通して、ブログを自分の意見を形成するためのツールにするのも悪くないと思い、そちらに舵を切りました。
一番の理想は「自分が書きたいこと」と「読者が解決したいこと」を交わらせること
一番の理想は、「自分の書きたいこと」と、「読者が解決したいこと」の二つの円が重なるところの記事を書くことでしょう。
私のこれまでのエントリーの中で、一つだけ、「自分が書きたいこと」と「読者が解決したいこと」が交差した点で書いたものがあります。
それは、私がビザの面接をするために、アメリカ大使館を訪れたときの話について書いた記事です。
これは、狙って書いたというのもありますが、やはり少しPVを稼いだエントリーになりました。
理想はこうした記事をもっと多く書くことですが、何せ「思考の記録」がメインですので、あまり意識せず、ちょいちょい織り交ぜる程度で、これからもいきたいと思います。
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ひとことポイント
・思考を磨くためのツールとして、自分のためにブログを書こう
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