ちょっと前に『資本家マインドセット』という本を読みました。
そして先日、『投資家みたいに生きろ』という本も読みました。
「資本家」と「投資家」。
似てるような似ていないな2つの生き方。
今回は、2つの著書を基に、「資本家」と「投資家」の生き方について書き記しておきたいと思います。
「資本家」とは
さて『資本家マインドセット』でいうところの「資本家」とはどんな人でしょうか。
「お金を生む仕組み」をつくること。
それが、私が考える、資本家のいちばん大事な仕事だ。
(中略)
「仕組み化」とは「自分の時間」を極力使わなくすること。
(中略)
ある仕事を「仕組み化」し、あとは「他人」や「機械」に任せ、「自分の時間」の余白を生んで、新たな仕事に取りかかる。
その仕事も「仕組み化」して余白を生み、新たな仕事へ。
そうやって価値を創造し、最大化させていくのである。
出典:資本家マインドセット
世の中を動かす「仕組み」を作ることで、自分がそこにいなくても仕事が回り、結果的にお金も生み出す、そんなイメージでしょうか。
著者は、この仕組化により、究極的には「お金」からも「労働」からも自由な生き方を手に入れるのが資本家だと説いています。
「投資家」とは
では『投資家のように生きろ』では投資家をどう定義しているのでしょうか。
要約すれば、投資家として生きるということは、①リスクをとって持っているリソースを投じることで、リターンを得ること、②長期投資の力を信じること、の2点を実践するもの、だと思います。
ここでいう投資の対象について、筆者の考えでは、お金に限定されていません。
私の考えでは、投資とは、「エネルギーを投入して未来からお返しをいただくこと」です。
(中略)
「投資」という行為は、金銭的な損得のためではなく、「未来を切り開く」ことにおいて必要なのであって、「お金を得る」ことは投資のリターンの1つにすぎません。
出典:投資家のように生きろ
投資とはなんらかのエネルギーを投入することであり、例えば子供の将来のための教育投資や企業がより生産力を高めるための設備投資、自分の成長のための自己投資、社会への還元を目的とした社会投資などがあります。
筆者は投資家として生きるには、「①主体性」を持つこと、「②時間」と「③お金」の使い方に自覚的であること、人生の「④決断」をする力を持ちつつ、「⑤運」の存在とうまく付き合うこと、の5つが重要だと説いています。
共通点は「サラリーマン・マインド」からの脱却
今回、2つの本を読んで感じたのは、両方とも「サラリーマン思考から脱却せよ」とうたっているということです。
つまり、両者に共通する点は、自分の時間を切り売りする働き方ではなく、「仕組み」や「リターンのある投資」にリソースを振り分けることで、人生のレバレッジをかけようということです。
今回のこの2冊にある考え方は、全世界で1,000万部の売り上げを誇るマネー系自己啓発書の大ベストセラー『金持ち父さん 貧乏父さん』にある4つのクワドラント、①従業員、②自営業者、③ビジネスオーナー、④投資家のうち、③と④についての生き方を書いていると感じました。
個人的には投資家的生き方に憧れるので、そちらの方向に近づく思考と行動のサイクルを回したいと思います。
おまけ
今回の2つの著書は、割とどこかで聞いたことのある内容が多かったので、あまり新しい発見はなかったのですが、『投資家のように生きろ』に一つ、興味深い記述があったのでご紹介します。
それは『身近にひそむ「無自覚のワナ」』というくだりに出てくる、投資とは真逆のお金の使い方である「コンビニ消費」の話です。
さて、私たちはなぜ、お金を使うことに無自覚になってしまうのでしょうか。
特に、消費の無自覚さに拍車をかける原因は、「コンビニ」の存在ではないかと私は思っています。
帰宅途中、吸い寄せられるようにふらりとコンビニに立ち寄って、特に欲しかったわけでもないけれど、なんとなく飲み物とお菓子を買って帰る。
そんなコンビニでの買い物は、「欲しいものを買う」という純粋な消費であるよりは、ちょっとした寂しさや退屈さを紛らわすための「心の隙間」を埋める行動といえるかもしれません。
私も若いときは、何の気なしにフラッとコンビニに寄っていました。
実はその行為が「必要なものを買うための行動」ではなく「心の隙間を埋める行動」だったというのは、何となくわかる気がして、「なるほどなぁ」と妙に納得しました。
^U^
ひとことポイント
・サラリーマン・マインドを捨てて、資本家や投資家のように生きよう
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