前提を疑い「ファクトフルネス」な結論を導く

check the fact 91.デジタル&イノベーション

ひと頃、『ファクトフルネス』という本が話題になりました。

この本の趣旨を要約すると、「人々の世界に関する知識は古かったり、誤解に基づいたものも多いので、データや事実に基づき、世界を正しく見よ」、という内容になります。

これはまったくそのとおりで、最近「事実に基づかないであろう論理の展開による違和感」を感じたので、今回はこれについて書き記しておきたいと思います。

暗黙の前提に感じる違和感

私は仕事がら、デジタルを活用したサービスの提供について議論をしますが、そこで頻繁に話題になるものに、「テクノロジーが進化していく中で、いかに高齢者を取り込むか(取りこぼさないようにするか)」というトピックがあります。

たとえば、スマホを使ったサービスを議論する際、今後ますますテクノロジーが発達する中で、デジタル・デバイドはどんどん開いていき、何もしないと高齢者は取り残されるという論調で話が進行したりします。

私はこれを聞いていると、「本当だろうか?」と思ってしまいます。

私が疑問に思うのは、その暗黙の前提条件が間違っている気がするからです。

その前提条件は正しいのか?

この議論には大きく分けて二つの「疑うべき前提」があると思っています。

一つは「高齢者はいつの時代もデジタルに弱い」という前提、もう一つは、「テクノロジーはますます複雑化して扱いにくくなる」というものです。

暗黙の前提①:高齢者はいつの時代もデジタルに弱い

まず、1点目ですが、高齢者全体を十把一絡げにして「高齢者はいつの時代もデジタルに弱い」とい考えるのは、短絡的過ぎると言わざるを得ません。

Appleが認めた最年長エンジニアの若宮正子さん(1935年生まれ)や、YouTubeチャンネル・Gamer Grandma(ゲーマーグランマ)を運営する森浜子さん(1930年生まれ)など、最近話題になるシニアの活躍を考えれば、一様にシニアがテクノロジーやデジタルに疎いわけではないと思います。

もちろん、若宮さんや森さんはシニアの中でもかなり突出している方だとは思いますが、それでもスマホくらい扱えるシニア層などゴロゴロいますし、逆に若くてもデジタルが苦手な人はいるでしょう。

ちょっと前まで「(ほとんどの)シニア=スマホが使えない」は正しい時期もあったのかもしれませんが、①時代が下るにつれ、スマホを使える世代がシニアになる、という点と、次の項で詳述するように、②テクノロジーの進化がサービスを使いやすくする、という2点において、今は正しくないと考えます。

暗黙の前提②:テクノロジーはますます複雑化して扱いにくくなる

テクノロジーというものが、基本的には不可逆的に発達するものという認識は正しいと思います。

一度解明してしまったものは、なかったことにはできませんし、一度発明されたものの利便性は、無視することはできません。

ただ、人類の叡智というものは、物事を初心者にわかりやすく教えたり、あるいはそもそも初心者には考える手間を省くようなテクノロジー、そしてサービスの発展にも及ぶわけです。

たとえば学校の勉強で言うと、昔であれば教科書とカセットテープくらいしかなかった学習教材も、いまやYouTubeで音と動きを伴った解明や、時系列的な説明まで見ることができるため、ひと頃より理解はしやすくなりました。

昭和の時代にはクラッチ操作が必要であった車の運転(マニュアル車)も、今やオートマチック車にはクラッチ操作は不要で、昔と比べてだいぶ楽に運転することができます。

そのうち人間が運転などしない時代も来るでしょう。

つまり、何が言いたいかと言うと、テクノロジーの進化にあわせて、それを考えなくていい土台(インフラ)や初心者向けのサービスも同時に開発されていくので、ますます扱いにくくなるわけではないと思うのです。

常にファクトの更新をし続ける

VUCA時代において、最も大切なことは、自分自身を「常に最新の情報にアップデートし続ける」ことでしょう。

そのためには、前提となる世界に関する知識のアップデートが欠かせません。

間違った前提からは間違った結論しかでないからです。

何もすべてがすべてにおいて、あらゆる情報をくまなくアップデートする必要はありません。

世間一般的なニュースや、自分の興味関心がある分野だけでいいと思います。

それだけで、だいぶ違ってくるはずです。

自分と興味関心エリアのアップデートは、もはや現代人に必須の習慣と言えるでしょう。

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ひとことポイント

・前提を疑い、常に自分と自分の関心領域のアップデートをし続けよう

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