【時間革命シリーズ】幸福のありかは「当たり前の日常」の中にある

happy in a daily life 06.自己啓発

堀江貴文さんの著書『時間革命』から着想を得て、時間にまつわる方法論を展開する「時間革命シリーズ」の第6回です。

今回は、最終回ということで、堀江さんの「幸福論」についての私の所感を書き記しておきたいと思います。

幸福は日々の時間に横たわる「線」

堀江さんは著書の中でよく、「未来を心配しても仕方がない、今を生きよ」というお話をされています。

今というこの一瞬一瞬に全力を尽くすことが一番大事であるという趣旨だと思います。

また『時間革命』の中でもご自身のことを、できるかぎり自分の人生を「心地いい時間」で満たしていればそれでいいと考える「快楽主義者」だと発言しており、「今」という時間をどれだけ幸せな時間にできるかを重視していることがうかがえます。

この考え方を端的に表しているのが、以下の引用文にある幸福の定義でしょう。

幸福というのは、努力や成長を積み上げた先にある「点」などではない。

日々のあらゆる時間のなかに横たわっている「線」だ。

つまり、グーッと我慢を重ねて、あるときポンッといきなり幸せに「なる」のではない。

ぼくたちはいつでも幸せで「ある」ことができる。

幸福は0か1かの世界ではなく、無限の「度合い」があるものなのである。

出典:時間革命

いやぁ、いいですね、この幸福のとらえ方。

私はこの文章から2つのメッセージを受けとりました。

1つは、幸せとは求める対象ではなく、自分が幸せで「ある(be)」という状態だ、ということ。

もう1つは、日々の連続の中にこそ、生きる意味(ストーリー)と幸福がある、ということです。

私はけっこう未来志向というか、明日をよくするために今日、何をするかと考えがちな方なので、この文章を読んだときハッとさせられた気がしました。

よく、宝くじで大金を当てて金持ちになったけれど、最後は身を滅ぼしてしまうようなストーリーがあったりしますが、あれは「点」として急に幸せになる要素を手に入れたものの、そこにはお金を手に入れるための努力やストーリーという「線」がないから、結局、大金をうまく扱えずに、悲しい結末で終わっているのかもしれないと思いました。

人は「日常」を失ってはじめて、その価値に気づく

日々の生活の中に幸福を感じればいい。

口では言っても、これを実感するのはなかなか難しそうです。

なぜなら、毎日あるような「あたりまえ」というものは、その真価を感じづらく、ありがたさをあまり意識できないからです。

人は病気を患ったり、大きな不幸に見舞われるてはじめて、自分がそれまでいかに幸せだったかに気がつきます。

ですから日々の幸福を感じるためには、堀江さんのように「今」に集中することが一つの解なのかもしれません。

それと、私が思い当たるもう1つの解は、「経営の神様」と言われた松下幸之助さんが毎日実践していた、夜、就寝する前の、一日の反省と日々の感謝です。

一日を振り返って反省すること、そして日々、感謝の気持ちを持つことは、一日一日を大切に生きる上で重要な習慣のような気がします。

ムリをし過ぎて「日常にある幸せ」を壊しては意味がない

堀江さんは幸福であるためのポイントを、幸福と苦痛の「分岐点」という言葉で表しています。

だから本当に大切なのは、幸福量と苦痛量の「分岐点」をしっかりと見定めることだ。

最終的に得られる幸福と、途中プロセスで味わう苦痛とを比較したとき、あまりにもがんばりすぎて、結果的に苦痛のほうが多くなってしまっては元も子もない。

逆説的に聞こえるかもしれないが、人間は幸福を最大化しようと躍起になるほど、じつは不幸になるようにできているのだ。

出典:時間革命

たとえば「がんばりすぎて体を壊してしまう」、「家庭を顧みないで家族が崩壊してしまう」というのは、典型的な「元も子もない」事例でしょう。

最近、FIREに関連する本を2冊ほど読んで、ムダな浪費を止めて、節約しないとなぁと思っていたのですが、果たして何がムダで何が「必要悪」なのか、などと考えたりしているときにこの文章を見て、がんばりすぎて今の幸せまで壊してはいけないなと、改めて思いました。

バランスが難しいですが、そこがまたおもしろいわけで、人生の探求はまだまだ続きます。

^U^

ひとことポイント

・「今を生きる」ことが日々の幸福を感じる最上の道かもしれない

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